小学校受験に向き合っていると、どうしても気になってしまうのが模試の判定です。 A〜Eまで並ぶ判定表を前に、結果が出るたびに気持ちが揺れる、という家庭も多いと思います。
我が家の場合、模試ではD判定が続きました。 それでも最終的に合格できた今、なぜ最後まで諦めずに取り組めたのかを、振り返りながら整理してみたいと思います。
最終回の模試で、ようやくC判定
C判定を取れたのは、夏(8月)の最終回の模試でした。
それまでは、基本はD判定。ときどきEに近い数値で、AやBとは縁がないという状況が続いていました。 結果を見るたびに、このまま進めてよいのかを考えることはありましたが、模試の意味を冷静に捉え直すことで、気持ちを立て直していました。
模試の判定は「その時点の一断面」
模試を重ねる中で感じたのは、判定はあくまで、限られた条件下で切り取られた、その時点の評価にすぎないということです。
小学校受験では、
- 行動観察
- 運動
- 製作
- 集団での振る舞い
といった要素の比重も大きく、これらは一度の模試で正確に測り切れるものではありません。 特に行動観察や運動は、当日のメンバー構成や流れによって、評価が大きく変わることもあります。
月齢の差は、結果に大きく影響する
受験準備を進める中で、月齢の差の大きさを強く意識するようになりました。
- 指示理解の速さ
- 集中力の持続
- 集団での立ち回り
- 身体能力や巧緻性
これらは、数か月の差でもはっきり表れます。 模試では同じ学年として評価されますが、実際にはほぼ1年近い成長差を含んだ比較になります。
この前提を踏まえると、D判定という結果だけで可能性を判断するのは、適切ではないと感じました。
継続して通っている子が有利なのは事実
もう一つ、現実として感じたことがあります。2年間継続して塾に通っている子は、やはり有利です。
- 場の空気に慣れている
- 指示を聞く姿勢が定着している
- 行動観察の型が体に入っている
一方で、1年で準備しようとする家庭は、どうしても不利になります。
だからこそ、模試で結果が出なくても、それだけで判断を下す必要はないと考えていました。 (心中は常に穏やかではいられませんでしたが・・・)
合格には「トップ」である必要はない
模試の判定を見ていると、上位にいなければならないように感じてしまいます。 ただ、受験人数と合格者数を冷静に考えると、必ずしもトップ層にいる必要はないということが分かります。
小学校受験は、順位を競う試験というよりも、その学校に合うかどうかを見られる選抜だと感じました。
模試で目立たなくても、学校側の評価軸と合っていれば、十分に合格の可能性はあります。
一点でも安定した強みがあればいい
模試は総合点で評価されますが、実際の試験では、何か一つ、安定して評価される要素がある子は印象に残ります。
- 運動が安定している
- 行動観察で自然に立ち回れる
- 集団の中で浮かずに存在感がある
こうした強みは、ペーパーの点数が多少足りなくても、評価される余地があると感じました。
模試は「判断材料」ではなく「調整材料」
我が家では、模試の結果を次のように位置づけていました。
- 合否を予測するものではない
- 現在地を把握するためのもの
- 得意/不得意の修正点を見つけるための材料
点数や判定そのものより、どこが不安定かどこを補うべきかを見ることに集中したほうが、結果的に前向きに取り組めました。
親が過度に揺れないことが大切
模試の結果が続くと、一番影響を受けやすいのは親の気持ちです。
ただ、親の不安は想像以上に子どもに伝わります。
- 結果に振り回されすぎない
- 必要以上に悲観しない
- 目の前の準備を淡々と続ける
この姿勢を保つことが、結果的に一番重要だったと感じています。
まとめ
模試でD判定が出ていても、それは一時点の評価にすぎない。 月齢差という大きな要因もある。トップでなくても合格は可能。
この前提を理解したうえで、最後まで取り組んでよかったと思っています。
模試は、諦めるための材料ではなく、準備を微調整するための道具でした。
次回は、「行動観察は家族でも訓練が必要だった」というテーマで、家庭での関わり方について書いていく予定です。